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そのためエジプトの美術には、この両者の流れが伝統として息づいています。
今でこそ、エジプトはイスラームの国ですが、アラブ人がエジプトを征服する以前、現在のエジプトの地域一帯にはキリスト教が広まっていました。
3世紀以降に土着のエジプト人の間に広まったものです。
この時期のキリスト教化したエジプトの美術をコプト美術と呼びます。
ヘレニズム、ローマ、ビザンチンの各様式を折衷しているのが特徴です。
コプト美術の代表的なものは、ケナー近郊のデンデラのバジリカ式聖堂や、ソハーグの「白い修道院」「赤い修道院」などです。
イスラーム美術
アラブ人のエジプト制服は、エジプト・イスラム美術は花開きます。
首都カイロが建設されたのは、10世紀のファーティマ朝時代です。
この時期に大モスクなどのイスラーム風建築が次々と建設され、エジプトは急速にイスラーム化していきます。
12世紀後半からのアイユーブ朝時代には、カイロからフスタートまでを囲む城壁が建設されるなど、軍事的建造物が発達します。
カイロは世界遺産に指定されている都市です。
イスラームの建造物といっても1300年以上もの歴史があり、その果てしない時間の流れがまるで止まったようにカイロには、さまざまな時代の建造物が集結しています。
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古代エジプト美術は、神々の崇拝や宇宙創造神話、死後の世界への信仰を特徴とします。
ファラオ(王)は神の代理人であり、エジプトの古代芸術はそのファラオの政治権力の保護を受けて発展したことから、政治的目的が色濃いものです。
ファラオの統治は、3000年間続き、古代エジプトの美術には、それぞれの時代の王権の強大さが反映されています。
絵画も定型化、抽象化された図柄が目立ち、これらはその後のエジプト美術の基盤となりました。
一方、古代エジプトの建築にも、エジプト人の死生観がよく反映されています。
そのため大きくて頑丈な石造建築が用いられたのです。
そのほか、オベリスク(方尖柱)もエジプトの特徴的な建造物です。
これは太陽神ラーの信仰が強まってくるにしたがって建造されるようになりました。
日の出を象徴する役割をします。
神を祀る神殿も巨大で、前面にオベリスク、列柱がならぶ様式がとられています。
また、エジプトの遺跡を訪れているなかで目を引くのは、その壁画のすばらしさでしょう。
したがって壁画では、永遠にふさわしい人物像・・・つまり抽象化された人体が追求されました。
私たちが現在見慣れているような三次元的な描写ではなく、顔は横から、目と眉と両方の肩は正面から、そして胴と足はまた横からみたものが描かれているのが一般です。
抽象的な壁画と比べ、彫刻は写実的です。
死者の霊が宿りやすいように、という意識があるのです。
エジプトはイスラームの国なので、西暦とイスラーム暦(太陰暦)の二つが使用されています。
通常の生活は西暦によりますが、イスラームの習慣で、1週間は土曜日から始まり、休日は金曜日です。
ヒジュラというのは、移住を意味します。
預言者ムハンマドがメッカからメディナへ移住した年を起元元年とするものです。
現在は、イスラームの行事のときにのみ利用されます。
ラマダーン
イスラームの行事のなかで最もよく知られているのは、ラマダーン(イスラーム暦の9月)の断食でしょう。
ラマダーンには、日の出から日没まで一切の飲食が断たれます。
昼間、甘いものに飢えているので、ただでさえ強烈な甘さのエジプトのお菓子は、それに輪をかけてものすごい甘さとなります。
日没後の食事のあと、近所の人を訪問しあったり、街へ出たり、とナイトライフは大賑わいです。
夜中までにぎやかに過ごしたあと、日の出前に最後の食事「朝食」を食べて、ちょっと仮眠して仕事に行くのです。
ラマダーンの期間は、慢性的な寝不足で、また夕方は、食事めがけて突進する人たちでカイロの町など戦場のような混雑となります。
ラマダーンの時期は、国民の大部分を占めるイスラーム教徒が断食をすることから、生活時間帯が通常の時間帯とずれ、労働時間は短くなります。
レストランなども、営業時間が日没後から夜遅く・・・深夜3時までのこともあります・・・になることもあります。